「馬込文士村 空想演劇祭2021」関連企画として開催した『花子とアン、甲子太郎とトム・ソーヤーのイラスト展』に出展された作品をご紹介します。
馬込文士の一員であった村岡花子(1893-1968)は、その生涯をNHK連続テレビ小説『花子とアン』(2014)でドラマ化され、再び注目を集めた翻訳家です。家庭文学を提唱し、幅広い年齢層が気軽に楽しみ、共有できるような英文学作品を数多く翻訳し、日本に紹介しました。なかでも、カナダの作家ルーシー・モード・モンゴメリの代表作『赤毛のアン』(1952)とその「赤毛のアン・シリーズ」の名訳は、日本で出版されてから約70年経った現在でも、多くの人々に読み親しまれています。
また、吉田甲子太郎(1894-1957)は、馬込文士村の村長と呼ばれた人物です。小説家である山本有三を師とし、アメリカを代表する作家であるマーク・トウェインの代表作である『トム=ソーヤーの冒険』(創元社,1954)や『ハックルベリー・フィンの冒険』など、数々の名作児童文学を翻訳しています。
本展は、馬込文士の一員であった村岡花子と吉田甲子太郎、2人の名訳を、10枚のイラストパネルとともに紹介しました。現在を生きるイラストレーターやアーティストによって描かれた『赤毛のアン』と『トム・ソーヤーの冒険』の物語世界と、時代を超えて生き続ける翻訳にもご注目ください。
物語の舞台は、カナダのプリンス・エドワード島にある村、アヴォンリーです。主人公である孤児のアン=シャーリーは、赤毛でやせっぽち、そして想像力溢れるおしゃべりな女の子です。アンが、緑の切妻屋根の家に住むマシュウとマリラという老いたクスバート兄妹のもとに間違って引き取られるところから、物語は始まります。アンは、美しいプリンス・エドワード島の自然に魅せられます。島での生活を通して、ダイアナという腹心の友を得、多くの人々に愛されながらも、想像力があるゆえに引き起こすさまざまな失敗や純粋な心が描かれているエピソードが作中で展開されていきます。それらの経験を通して、アンは、少女から乙女へと成長していきます。
著者は、カナダの作家・ルーシー・モード・モンゴメリ。『赤毛のアン』は、1908年にカナダにて発表されました。発表と同時に少女たちから絶大な支持を得て、アン・シリーズは10冊に及びます。作中に登場するプリンス・エドワード島の美しく牧歌的な自然の風景と、主人公アンの豊かな想像力は、カナダだけではなく、世界中の多くの人々に今もなお愛されている物語です。
作家。カナダのプリンス・エドワード島で生まれ、2歳前に母と死別し、母方の祖父母の農場に引き取られ、スコットランド系旧家の一族に囲まれて育ちました。プリンス・オブ・ウェールズ大学を終え、3年間教職に就いた後、祖母と暮らすため再び島で13年ほど暮らしました。学生時代から、日常生活のかたわらで執筆を続け、1908年『赤毛のアン』を出版し、世界的なベストセラーとなりました。モンゴメリの生涯の代表作です。その他、『可愛いエミリー』(1964年)などのエミリー3部作を発表しています。
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「グリン・ゲイブルスのアン」を読む者は著者モンゴメリ女史が花ひらく乙女時代に対していかに深い理解と同情をもっているかに驚くのです。真昼の夢に包まれているようなアンの中には、航空機の時代になってもテレヴィジョンに親しみながらも失なわれない永遠から永遠につづく若い女性の純粋さと、その清らかさが生むあこがれが呼吸しているのでしょう。
アメリカ合衆国の土に続いていながら、カナダの人々の性格は、アメリカ人ともイギリス人ともちがった意味での明るさと素朴さを特徴としているようです。日本人とカナダの婦人宣教師たちの協力によって創立された東洋英和女学院70年の長い歴史の中の1つの時代に、あの学園で生活した私は、英語をカナダ人の教師から学びました。西洋人との私の接触は、学生時代から現代に至るまで主としてカナダ人を中心としてつづいて来ております。
カナダ系の作家の紹介をしたという私の念願は、今日までに多くのカナダの教師たち友人たちから受けたあたたかい友情への感謝からも出発しております。我が国出版界の貧困の1つは、健康な家庭文学の乏しさにある現在、若い世代の永遠の寵児ともいうべき『赤毛のアン』を世に送ることの出来るのみ無上の喜びを感じながら、この訳業を麻布の丘の母校にこもる若き日のおもいでと、今そこに学びつつあるわが心の妹たちにささげます。
1952年の春
東京大森において
村岡花子
出典:村岡花子「あとがき」
モンゴメリ著 村岡花子訳『赤毛のアン』526-527頁 新潮文庫 2008年 (初出 『赤毛のアン』三笠書房1952年)
アメリカのビーターズバーグという村に住むトム・ソーヤーは、わんぱくないたずらっ子。学校や教会での堅苦しい生活を嫌い、いたずらや冒険が大好きな少年です。学校では、教師をからかったり、ベッキー=サッチャーという少女に恋をしたり。トムは、ハックルベリー=フィンや、ジョー=ハーバーといった遊び仲間と一緒に、海賊団になるために無人島でキャンプしたりと、楽しい生活を送っています。
少年たちの無邪気な遊びは、やがて危険な場面に遭遇する冒険へと変わっていきます。真夜中の墓地で殺人事件を目撃したり、宝探しの過程で村人の命を狙う計画を盗み聞きしてしまいます。
危険な冒険を通して、トムや少年達が恐怖を乗り越え、勇気を出して行動する姿が描かれています。
著者は、マーク・トウェイン 1876年アメリカ合衆国にて発表。少年冒険小説の古典。作品中の主人公・トムが住むセント・ピーターズバーグは、著者のマーク・トウェインが、少年時代を過ごした村ミズーリ州ハンニバルがモデルであり、著者の少年時代の思い出が、物語として活き活きと描かれています。本作に描かれている村は、発表年の1876年頃の村ではなく、アメリカ全体の都市化・産業化が急激に進む以前(南北戦争以前)の農村であり、「戦前以下の小さな共同体においては、子供が行方不明になれば村じゅう総出で捜索し、殺人事件でも起きようものなら文字どおり村一帯どこもその話題で持ちきりになる。…一体感に包まれた「古き良き共同体」としての村」※が舞台になっています。
※1 マーク・トウェイン著 柴田元幸訳『トム・ソーヤーの冒険』387頁 訳者あとがき 新潮文庫 2012年
本名:サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)
アメリカ合衆国ミズーリ州フロリダで、実業家で治安判事も務めた父ジョン・マーシャル・クレメンズの子どもとして生まれています。12歳で父を亡くし、印刷工や、新聞社勤め、そして当時の花形職業であったミシシッピ川の蒸気船パイロットなどの職業を経て、1865年『ジム・スマイリーと彼の跳び蛙』が全米各地の新聞に掲載され、その名を知られることになりました。その後、『ミシシッピ河上の生活』『王子と乞食』『トム・ソーヤーの冒険』などを発表し、19世紀アメリカ・リアリズム文学を代表する作家であり、アメリカ国民文学の父とも言われています。代表作『ハックルベリー・フィンの冒険』は、現代アメリカ文学の出発点として、現在も高く評価されています。
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『トム=ソーヤーの冒険』解説一部抜粋
『トム=ソーヤーの冒険』が出版されたのは、1876年のことで、この作品はアメリカ全土に、笑いのさざ波をわきおこしました。なお本文庫版(上・下)は、その『トム=ソーヤーの冒険』の全訳です。
イギリスの有名な作家サマセット・モーム(1874-1965年)もいっておりますが、トウェインの文学は、それこそアメリカ特有のかおりをもっています。それまでヨーロッパの影響を受けていたアメリカ文学が、トウェインによって、はじめて、アメリカ独特の文学をうちたてたといえるでしょう。
アメリカの人びとがふだん用いていることばの中から、文章を作りあげているということと同時に、やんちゃで、ユーモア好きで、冒険好きで、しかも純潔な正義感の強いトム=ソーヤーや、ハックルベリー=フィン(『ハックルベリー=フィンの冒険』の主人公)のような、アメリカを代表する性格を作り出したことは、トウェインのてがらです。こんな痛快な少年たちは、アメリカ以外、どこにもいないでしょう。
『トム=ソーヤーの冒険』を読んでいると、いろいろ現実にはありそうもないことがでてきます。つぎつぎと、息もつかせず、おもしろおかしい事件が、めまぐるしく展開します。それに、トムたちやポリーおばさんは、いったい、毎日の生活の糧をどうして得ているのだろう?という疑問がおこるでしょう。しかし、だからといって、これがすべてうそであるということはできません。むしろ、この作品の中にトウェインが描いている人間の気持ちは、おそろしいまでに真実です。
トウェインの時代は、文学の歴史のうえからいっても、生活や人間のすがたをありのまま描くという、リアリズム(現実主義)の手法は、まだあらわれていませんでした。ですからこの作品も、いまのべたように現実にありそうもないことが、ロマンチックな手法で書かれているのです。けれども、作者トウェインは、自分が人間に対していだいている、豊かな、おおらかな愛情で、よく人間の心の真実を見ぬき、そして、それを正しく表現することに成功しているのです。だからこそ、この作品が現実ばなれをしているにもかかわらず、読者の心を強くとらえるのです。
イラストレーター/デザイナー/短大非常勤講師。デザインオフィス勤務後、2009年グラフィックデザイナーとして独立。以降、広告・WEB・まちづくりなど、幅広いプロジェクトを担当。並行して2011年、アンテナショップを兼ねた雑貨店を開業。「自主制作していたレトロなイラストを気に入ってくださるクライアントに恵まれ、現在はイラストに主軸をおいたデザイン制作が主な仕事になりました。そろそろ個展をしたり、絵本のようなものを作りたいなと思っています。」
1996年生まれ。女子美術大学卒業。アンティークなイラストを得意とし、女性のライフスタイルを中心に雑誌ゼクシィ・JJ・non-no・with、WEBではFUDGE.jpなどを担当。
長野県出身。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。MJイラストレーションズ卒業。フリーランスのイラストレーターとして2017年より活動。複数の画材を紙のうえで混ぜ合わせながら描く手法で書籍や雑誌などエディトリアルを中心に広告、WEB、パッケージ、音楽ジャケットなどにイラストレーションを提供している。個展をはじめグループ展やイベントなどで原画作品を発表。2022年に3年振りの個展を開催した。
高校生の頃より、画家である父が主催する工房ルソーで絵を学ぶ。個展、グループ展、またコンテスト入選入賞などしながら制作を続ける。2011年から2015年までカナダに滞在する。最近ではJIA Illustration Award 2021において銀賞受賞。近年では、2020年Bloom Coffee Okinawaにて個展開催、2021年壺中天の本と珈琲にて「自主制作本とスクラップブック展」出品(伊東市)。
大田区出身。武蔵野美術大学造形学部油絵学科2008年卒。夜の闇と光、住居、日常生活や環境の中で見出した物事をモチーフとし、主に絵画、空箱や紙袋を使用した作品を制作。Hasu no hana (2014年)、ドイツ文化会館OAGロビー (2018年)、ギャラリー58 (2020年など)での個展のほか、多摩川オープンアトリエ (2015年、2017年)、地元の女性作家展 (ギャラリー南製作所、2020年) など、様々な展覧会に参加。
山梨県生。東洋英和女学校に入学後、大正2年に同校高等科を卒業。21歳の時に山梨英和女学校の英語教師となる。結婚後、大森の新井宿に移住。46歳の時に同僚のカナダ人から『アン・オブ・グリンゲイブルズ』をもらい、戦時中に翻訳する。59歳の時に『赤毛のアン』のタイトルで出版した。
大正9年(1920)/25歳~昭和43年(1968)/75歳
群馬県生。児童文学の翻訳を主な仕事としていたが、自らも創作をはじめ、『源太の冒険』、『兄弟いとこものがたり』などを出版。山本有三と親交があり、また昭和7年より明治大学教授をつとめた。
大正10年(1921)前後/27歳ごろ、昭和32年(1957)/63歳のころ